2014.09.10
温泉の歴史は湯治の歴史
明治の積善館の様子
明治15~20年頃(今から120~130年位前)の 積善館本館
険しい道のりを、お婆さんをおぶってくる人も
この写真は、明治15~20年頃(今から120~130年位前)の積善館本館の写真です。
元禄4年(今から320年程前)に建てられたこの本館は、当時はご覧のように2階建てでした。
現在のように3階建てになったのは明治30年頃です。
手前には、新湯川に掛けられた橋の袂の人々が鮮明に写っていますね。
人力車が四万温泉に来るようになったのは、丁度この頃。
今の道のりで15~16キロも離れた「中之条」という町から来ました。
その右には、大きな荷物を持った人が写っています。
四万温泉までの山道を何時間も歩いてやって来たのでしょう。
左側には、お婆さんをおぶった人が写っていますね。
現在のように橋やトンネルが整備されていない明治の初期、舗装もされていないような険しい山道を、
大きな荷物を持ったり、お婆さんをおぶったりして四万温泉に来るのは、さぞかし大変な苦労だった事でしょう。
昔の人々は、どうして山奥の四万温泉に来たのでしょうか?
では、昔の人々は、どうしてこのような苦労までしてこんな山奥の交通の便の悪い四万温泉に、320年も前から、わざわざやって来たのでしょうか?
今は、皆さんのお住まいの町にはお医者さんや病院が沢山ありますね。
病気や怪我をしてもすぐ治療を受けることができます。
しかし、昔はお医者さんや病院も今みたいにはありませんでした。
病気をしたからと言って簡単にお医者さんや病院で治療を受けるという訳にはいきません。
良い薬だって手に入れるのが難しい時代です。
だから昔の人は、
「あの温泉にはいると、こういう病気が治るんだよ。」とか
「こっちの温泉は、こういう怪我に効くんだよ。」と、
自分の病気や怪我を治すことを目的に、苦労してこんな山奥の温泉にやって来たのです。
そして何日か滞在し、温泉に繰り返し浸かって、病気や怪我を治していったのです。
これが「湯治(とうじ=湯で治す)」と呼ばれる古くからの温泉の利用方法です。
実は「温泉の歴史は湯治の歴史」なのです。
皆さんが、観光とか癒しとか、レジャーとかの目的で温泉を利用するようになったのは歴史的にはまだまだ最近の事なのですね。
ですから、皆さん!!
今度、どこかの温泉に入る時には、はるばる大変な苦労をしてその温泉に湯治でやって来た昔の人々に想いを馳せながら、ゆっくり温泉に浸かってみて下さい。きっと、温泉の効き目が何倍も違ってくることでしょう。