2015.02.07
三遊亭円朝
明治の落語に登場した積善館 ~その1~
落語中興の祖「三遊亭円朝」
三遊亭円朝
初代の三遊亭円朝(さんゆうてい・えんちょう:1839~1900)と言えば、落語ファンのみならず、知る人ぞ知る大名人と呼ばれた落語家で、江戸末期から明治時代にかけて活躍し、「落語中興の祖」とも呼ばれた人物です。
彼は滑稽ばなし(「お笑い」)の分野より、人情ばなしや怪談ばなしなど、いわば講談に近い分野で独自の世界を築き、有名な『牡丹灯籠(ぼたんどうろう)』や、グリム童話等を原作としたと言われる『死神』など、数々の新作を発表しました。
そして、それらのはなしは、新聞に連載され大人気を博した他、当時の作家の二葉亭四迷などにも大きな影響を与えたと言われています。
市川団十郎と積善館へ
彼の作品の一つに『霧隠伊香保湯煙(きりがくれいかほのゆけむり)』という人情話があります。
これは伊香保温泉や四万温泉のほか、前橋、桐生などを舞台として、二人の男女の悪行が次々と事件を引き起こすお話で 当時の群馬県で盛んに行われていた養蚕の様子などが克明に盛り込まれています。
三遊亭円朝は、当時の歌舞伎役者である市川団十郎とともに、この積善館に宿泊したことがあり、その時の印象をもとにしてこの作品を作ったとも言われています。
「少し塩気を含む透明」な四万の湯を、円朝はたいそう気に入ったようです。
人情話『霧隠伊香保湯煙(きりがくれいかほのゆけむり)』
円朝が落語の中で描写したと思われる頃の積善館の版画
その時の様子が『霧隠伊香保湯煙』では次の様に語られています。
『昨年(明治20年頃)、
私(円朝)がある御方の御供で関善(積善)へ参りましたが、
只今では三階作りの結構な新築で御座いますが、
その以前は帳場より西の方が玄関で御座いまして、
此処は確か十畳の座敷入側付きで
折曲がって十二畳敷きであります。
肘掛窓も谷川が見下ろせる様になって
山を前にして良い景色でございます。
二階屋で幾間も座敷が御座います・・・』
円朝が語っている部屋の様子(文中の黄色マーカーの部分)を、その頃の積善館の版画で探して見ると
彼が宿泊したのは赤マルで囲んだお部屋の可能性が高くなります。
この建物は現在は建て替えられて3階建てになっておりますがこの場所には今でもお部屋があり「桐の間」と呼ばれています。
円朝になった気分で、このお部屋の窓から川の流れの音を聞いてみるのもいいものですね。
次回は、『霧隠伊香保湯煙』の中から積善館での場面が描写されている部分を抜き出し、実際の歴史的な資料等と照らし合わせ、その頃の滞在の様子を探ってみたいと思います。
参考文献・画像:「円朝全集 第八巻」(岩波書店)・「円朝ざんまい」(森まゆみ著 平凡社)