2015.08.15
馬つなぎの柱
本館の1階の柱
積善館本館の1階にはこんな柱が立っています。
元禄の湯の前、本館の縁側の端に立っている柱です。
積善館「元禄の湯」の前の縁側
馬の手綱を縛って、すり減って
良く見ると、柱の中程の内側が擦り減っているのです。
この柱は、昔、ここに「馬をつないだ」と言われる柱です。
馬の手綱を縛ったためにこんなにすり減ってしまったのですね。
本館の建物(2階まで)が建てられたのが元禄四年(1691年頃)、その頃は縁側もありませんでした。
また、この通路の反対側、今の「元禄の湯」がある場所には、もっと小さなお風呂が新湯川に沿って建てられていました。
当時はここががかなり広いスペースになっており、昔の湯治客はこの柱に馬をつないで、荷物の積み下ろしをしていたようです。
昭和の初めまであった滞在風景
考えてみれば、運送や輸送の手段として車が普及してきたのはこの40年ちょっとです。
それ以前の時代、運送や輸送の主力は人力と馬力でした。
昔の農家には農耕用の馬もいましたからね。
その頃の湯治のお客様は、ほとんど自炊を行っておりました。
また滞在も今よりはずーっと長く、2~3週間から1か月ぐらいは滞在をしていきました。
ですから湯治に来る時は、馬の背に食料や布団などを積んで峠を越えて四万温泉にやって来たのでしょうね。
昭和の初めまで、そんな風景が見られたそうです。
・・・建物の歴史が約320年、
その内の200数十年が「馬と徒歩の時代」だったのですね。
長い年月の歴史を刻んだ柱です。